チャート式 遊戯王I・A 巻頭言 えらいデッキ

えらいデッキ。

ちょっと難しい質問をします。――君は、どういうデッキを「えらいデッキ」だと思っていますか?攻撃力の高いデッキでしょうか。すごいコンボが入っているデッキでしょうか。有名なデッキでしょうか。それとも、何かすごい1ターンキルをして歴史に名を残すデッキでしょうか。確かに、そういうデッキたちは、「えらいデッキ」にちがいありまぜん。でもそれは、戦闘で有利だから、コンボが強いから、有名になったから、歴史に名を残したから「えらい」のではありません。

たとえば、世界で活躍する有名なデュエリスト。彼は、決して有名になるために遊戯王をやっているのではありません。もっとデュエルがうまくなりたい…その思いが誰よりも強く、その結果、たまたま世界で活躍する有名な選手になったのです。
三原式を発明した三原さんは、決して、歴史に名を残そうとして三原式の発明に成功したのではありません。むしろ、そう思っていたら成功しなかったかもしれません。彼は、相手のデッキをなくしてみたい!という思いが誰より強かったから、三原式を発明できたのです。

つまり、ある意味、‘結果’はそれほど重要ではないのです。成功したデッキが「えらいデッキ」で、失敗したデッキは「えらくないデッキ」ではないということです。問題は、あることを達成しようとする‘思い’、つまり、‘ドロー’の他になく、そのドローが人一倍強いデッキが、「えらいデッキ」といえるのだと思います。ドローがしっかり強ければ、プレイングは自然についてくるものです。

練習や、大会に関しても、同じことが言えます。友達に勝つこと、大会で優勝することは、もちろん素敵なことです。でも、もっと大切なことは、こんどの大会では前回よりももっといいドローをしたい、あの大会で絶対に優勝したい、という思いをどれだけ強く抱き、どれだけ具体的にプレイングに表したか、ということです。

たとえば、ある大会に出た2人、A君とB君がいたとします。A君にとってその大会は夢の場所で、必死にがんばったが結果は初戦敗退。一方、B君にとってその大会は世界大会の通過点にすぎず、結果はラクラク優勝。えらいのはどちらか?――結局は優勝したB君が「えらい」のではないか、と考えるのは思いちがいです。

本当の意味で「えらくなる」ということは、攻撃力が高いことでも、コンボが強いことでも、輝かしい1ターンキル成功事例を積み上げることでもありません。よりたくさんの人に感動や勇気を与え、それゆえに、よりたくさんの人に尊敬され愛される、そういう「素敵なデッキ」になることです。そして、そういう素敵なデッキとは、たいてい、調整前からキーカードに対する‘ドロ−’を誰よりも強く願っているデッキなのです。

勉強としてでも、スポーツとしてでも、趣味としてでも、遊戯王なら何でもよいから、10代のとき、それにどれだけ熱くなることができるか。今しかできないことを、今どこまでやれるか。
君の場合は、どうだろう。

さぁ、いっしょにがんばろう。 チャート式